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名古屋大学大学院

アフガニスタンとその復興へ

私は大学院生であり指導教員が長い間アフガニスタンにいたことからアフガニスタンに興味をもった。

教授曰く、裕福な家庭はロバの数が多いと貴重な話が聞くことができた。アフガニスタンは外国人が安心して利用できる病院がほとんどなく、また後発開発途上国にカテゴライズされている。

 

ここで以後はアフガニスタンの問題を国際的視点から見ていく。

 

2001年9月11日のアメリ同時多発テロをもってアフガニスタンは有名になった。アフガニスタンでは内戦によって多くのアフガン難民が発生した。

アフガン難民の帰還の動きは予想以上で2002年には180万人に達し、2003年の終わりまでの二年間で国内避難民をあわせて300万人が故郷へ帰った。戦争で荒れ果て、紛争中に地雷で使えなくなった田畑、紛争中に毒がもられ、破壊された水路、泥と土だけになった家屋。どう援助するかが課題である。UNHCRが直面した課題のもと生まれた「緒方イニシアティブ」によるインフラの再構築、ユニセフなどの緊急人道支援援助などがある。日本もDDR-Disarmament、Demobilization、Reintegration(武装解除・動員解除・社会復帰)といって兵士たちの社会復帰を助ける面でも、さまざまなアイディアが固められている。また、国家の安全保障と並行して職業訓練、草の根部門の援助による地域社会再建を促す、経済状況の改善といった必要性のある課題もあった。とにかく現地のニーズにあった適切な支援をしなくてはならない。アフガニスタンでは、目に見えるインフラよりも人間の技術、維持管理能力、社会の統治制度や機能など目に見えないものの破壊力も同様に大きいとされる。さらに、アフガニスタンの保健状況を示す指標は悲惨な状況であり、平均寿命は43歳である。アフガニスタン保健省、国連児童基金ユニセフ)と米国厚生省疾病管理・予防センター(Center for Disease Control:CDC)が2002年夏共同で行った調査によれば、妊産婦死亡率の平均は出生10万人あたり1600人であった。CDCといえば、2020年のCOVID-19に関することでよく登場した保険関連機関である。

アフガニスタンでは毎日800人の子どもの多くが予防・治療可能な病気によって亡くなっている。アフガニスタンの保健状況は世界的にもっとも悪い水準である。戦争によって保健医療サービス、教育、その他社会システムが崩壊してしまった。農村部ではさらに環境は劣悪である。NGOの役割も大きく、例えば、中村哲さんの「ペシャワール会」によってパキスタンアフガニスタン現地事業体(診察所・農業・灌漑・PMS方式取水技術の普及活動)の支援をしていた。

ちなみにタリバン結成の目的は内戦の終結、治安の回復とイスラム法に基づいたイスラム体制の確立である。2002年のユニセフ発表では男女ともに非識字率は90%、NYの国連本部では93%となっていた。幼稚園の教師が非識字率であることも多い。また、初等教育男児が39%,女子が3%と低い(ユネスコ)。アフガニスタンでは非識字率が非常に高い。親たちが子どもたちに学校に送らない理由として安全への不安、学校への距離、学校施設の未整備などを挙げている。また、インフラ、教育、保健以外に「女性の地位の向上と国家建設への参画」を復興、開発支援と言われている。教育に関して知的障害の教育に関しては進んでいない。カリキュラムの制定も欠かせない。「銃治国家」から「法治国家」にするために、平和構築、貧困問題、教育の改善、経済開発、衛生、地雷の除去、難民の帰還促進をする必要があり解決すべき課題は多い。

統合失調症を患ったナッシュ/ビューティフルマインド

ジョンナッシュは映画「ビューティフル・マインド」にて統合失調症との闘病を含めた彼の生い立ちについて記されている。統合失調症とは思考、知覚、感情、言語、自己の感覚、及び行動における他者との歪みによって特徴づけられる症状をもつ精神障害で、約100人に1人が患うとされる。陽性症状、陰性症状、認知機能障害にわけられ、陽性症状では妄想、幻覚、思考障害、陰性症状では感情の鈍麻、思考の貧困化、意欲の欠如、自閉、認知機能障害では記憶力の低下、注意・集中力の低下、判断力の低下がある。統合失調症の原因はあまりよくわかっていないが大きなストレスが要因ではないかと言われている。また、思春期から40歳までに発病しやすいと言われている。ジョン・ナッシュ統合失調症の症状は、はじめは不安や恐怖の影響を受けて他人から常に批判を受けているという妄想が主症状だったそうです。彼の症状は大学院時代から悩まされ、周りからは奇異な目で見られていた。また、政府組織から敵国であるロシアの通信暗号解読を強要されるという妄想にかられ、日常と非日常の世界の区別がつかなくなっていく。その後、精神病院へ入院し妄想型統合失調症と診断され、その後、統合失調症の治療で抗精神病薬インスリン・ショック療法を受けている。統合失調症と診断されたナッシュは、拒絶と再発を繰り返すこと10年に及ぶ。アリシア夫人の献身的な支えによって幻覚・妄想の世界を無視し非現実的な世界から脱却し社会生活を営めるようになった。ナッシュというと経済学でよく知られるゲーム理論である「ナッシュ均衡」が有名である。1994年にゲーム理論の功績が認められノーベル経済学賞を受賞している。また、2015年にはリーマン多様体の埋め込み問題に関する功績によりアーベル賞を受賞している。名誉ある賞を受賞し天才と称され一見華やかに見える人生だが、背景に精神疾患である統合失調症を長らく患っていた。症状は完治するまで約30年続いたと言われている。この「ビューティフル・マインド」は統合失調症を抱えているにも関わらず、成功するという一見スティグマを解消し、統合失調症に関してネガティブな印象を与えないというよくできた作品であると私は思う。「ビューティフル・マインド」はやや非現実的な印象もあるが、統合失調症を含めた精神疾患はみな多様であり、肯定的な印象を受けた。統合失調症では今では薬も開発され約50%の人は社会復帰にまで至っている。現在では精神疾患スティグマはひどく差別や批判、奇怪な存在で混乱や危険を伴う印象としてとらえられるが、この映画はそんな精神疾患に一石を投じるであろう作品であると考える。

ハラスメント

セクシャル・ハラスメント(セクハラ)やパワー・ハラスメント(パワハラ)、モラル・ハラスメント(モラハラ)、マタニティ・ハラスメント(マタハラ)、スモーク・ハラスメント(スモハラ)、アカデミックハラスメント、逆ハラといったハラスメントが存在する。ハラスメントとは、相手の意に反する行為によって不快な感情を抱かせることであり、「嫌がらせ」を指す。行為者がどう考えていようが、受け手がどう解釈し、不快な思いをしたらハラスメントとなるのである。この定義からすると、私は大学時代10月になっても就活において内定がとれず一時間にわたってお説教をくらい「熱意が足らない」「やる気がたりない」等言う言葉を浴びたわけですが、大学側から「保険はかけろ」「内定は1つは取ってこい」と言われて喧嘩をし、非常に不快な気持ちになったことを今でも覚えているが、これはパワハラであったんだとくみ取れうる。近年ではハラスメントに関する法律が整えられているわけであるが、近年はハラスメントという言葉をよく聞くようになったと感じるようになった。それはメンタルが弱い人が増えているからなのか、ハラスメントという言葉が流行したからなのか、なぜだろうと日々つくづく実感するわけである。ISSP(2015)ではハラスメント経験者について日本は世界第三位で26%であり、日本は立派なハラスメント大国といえる。また、JTUCが発表している「仕事の世界におけるハラスメントに関する実態調査2019」では全体の38%が経験していると記されていた。上司からのパワハラが多いというデータから仕事上では日本ならではの上下関係という年功序列が一因ではないかと考える。ハラスメント問題は個人の考えや価値観、世の中の変化とこれまでの習慣や職場の風土の組み合わせで発生しうるため、問題は複雑でありなくすことは不可能であろうが、少しでも減ることを望むばかりである。

給食無償化とコロナ

給食がいつどのようにはじまったかは定かではなく、諸説あるわけだが18世紀に、ドイツのミュンヘンで貴族が貧困児童に食事を与えたことがきっかけであるといわれている。日本でも貧困児童を対象に供給されたのがはじまりと言われている。学校給食が大阪市立小中学校において20年度から無料にすると大阪市松井一郎市長が2020年3月に発表している。当初は2021年度からであったがコロナの蔓延にて経済対策として前倒しとなった。文部科学省の「平成30年度学校給食費調査」より学校給食費における保護者の年間負担額は1人あたり小学校4万7,773円、中学校5万4,351円にのぼり、貧困家庭では家計の負担が大きいと言われている。私の市町村では1日あたりの給食費が約200円であった。就学援助としてはじまったとされる給食であるが日本各地の市町村で給食の無償化はあまり進んでいない現状だ。フィンランドでは給食は教育の一部であるとされているが、日本ではそのような動きは滞っている。フィンランドでは給食無償化を初めて70年になると言われ、世界で給食無償化の先駆けと言われている。日本と違い高校でも給食があるらしい。尚、日本では給食普及率は100%に至っていない。財政等の問題があるわけだが、日本は先進国とは呼ばれてはいるものの、同じ先進国であるフィンランドと比べると圧倒的に遅れているわけである。猶更、7人に1人が貧困状況下におかれ先進国では最悪レベルと言われる中、経済的な理由で不安定な食生活を送っている子どもがいる。加えて、コロナの追い打ちがある今では給食無償化を含めた財政的改革や対策は必要で轍鮒の急であるといえよう。

カウンセリングとは

まず、私はカウンセラーの経験はなく心理学についても独学で少しかじっている程度であるため、妄言として書いているもので信ぴょう性に乏しいことを理解してある一人の意見として読んでほしい。

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カウンセラーの3条件(心構え)は、共感的理解、自己一致、無条件の肯定的尊重であると言われる。カウンセラーといっても臨床心理士から市役所などにいるカウンセラーなど幅広い。共感的理解とは、クライエントの世界をカウンセラーがあたかも自分自身のことであるかのうに感じとること

・自己一致とは、クライエントとの関係でカウンセラーが自由かつ深く自分自身になりきっていること

・無条件の肯定的尊重とは、クライエントをひとりの独立した人間として、条件なく肯定的に尊重する姿勢のこと

である。私は統合失調症発達障害特有の傷つきやすさがあるためカウンセラーとのかかわりは深い。学校のカウンセリングを含め、統合失調症になった高校時代から定期的にカウンセリングを受けている。私が感じる限りカウンセラーでも特徴がばらばらで上記の条件を満たしている人もいればいない人もいる。とりわけ博士課程をでている人は共感性がかなり乏しい人が多いように感じ論文や精神疾患の判断基準にかなり即していて患者個々人を深く観察するよりもデータに基づいている人も少なからずいる。私は友達から「カウンセラーは心の問題を直接扱いすぎて共感性が乏しくなっている人もいる」と聞いていたが、まさにそのような感じがするカウンセラーもいる。心の問題をダイレクトで扱うのは精神的ダメージもあるし大変だと思う。私がエンパス体質ゆえに中には思ったことをバンバン言ってきて「何でこのカウンセラーは共感性がなく自分の思ったことを押し付けるのだろうか」「なぜこの人は鈍感であろうか」と思うこともある。もしかすると心の問題を扱いすぎた弊害を受けている人も少なからずいるのではないかと推測される。心理学部を卒業しても心についてより知ることができるが、人の心を読めるわけではないということはこういうことである。

結局論点があやふやになってきたが、カウンセラーの三条件(心構え)を意識しつづけることはさぞかし難しいことであろうと推測できる。

発達凸凹が日本で生きにくい理由

私は、日本の就活のシステムに違和感を感じる。日本ではいかにいい大学に入りいかに大きな企業に入ることがいいことといった風潮がある。大学時代に日本でも名の知れた会社に入った友人は「俺は人生の勝ち組だ。もう人生が安泰だ」と言っていて私は「人生はこれからだろ」と思い白眼視した。

日本の就活は受験戦争と同じようなものだと私は思っている。私は就職活動をしたがとりわけ面接のとき「志望理由はなんですか」「就活の軸はなんですか」「あなたの強み、弱みはなんですか」「あなたを別の生き物に例えるとなんですか」といった定型的な質問が飛んでくるだけでなく、会社は勝手にその模範的な回答を想定していることも多々ある。質問された以上何を答えても自由であるはずなのに、自由に答えること、ぶっ飛んだ返答をすることはタブー視されている企業もあった。私が就活をしていたとき比較的自分の思ったことを自由に回答していたためか、面接官の印象には残るものの評価としては良いものではなかった。

またある企業では「君はうちの会社にはむかない」といった返答ゆえに落とされた会社もいくつかあった。

大学時代にあまりにも就活が決まらず12月になっても内定がない状況であり、診療内科に相談したところ発達障がい(発達凸凹)を言われた。最近では発達障がいは能力の凸凹をさすこともあり、精神疾患の診断・統計マニュアルであるDSM‐5を元に私はWISC‐4知能検査などを受けた。早生まれによる発達の遅れと能力の凸凹から自閉症スペクトラムASD)との診断が下った。ASDスペクトラムであり、連続体でgoogleで検索をすれば白と黒のコントラストの図がでるであろう。スペクトラムである以上明確な定義はなく、白か黒かといったらグレーなのである。ADHD(注意欠陥多動性障がい)も同様である。近年では障がいというより能力の凸凹をさすこともある。ASDADHDは個性的な人も多い。

能力の凸凹の激しい人は日本の就活とりわけ法人の総合職といったマルチな能力を求められるところは向かない。日本は「個の時代」にシフトチェンジすると言われていながら、社会では未だにマルチにできるジェネラリストが求められている。言い換えると減点主義で別にスペシャリストを就活で求められていない。

ASDADHD傾向のある人は日本では生きづらい傾向にあり、残念ながら彼らの個性は日本では活かせにくい。

ASD・ADHDとHSP・HSS型HSP

ASD(Autism spectrum disorder)とADHD(Attention Deficit hyperactivity disorder)というのが最近有名であるが、他方でHSP(highly sensitive person)とHSS型HSP(Highly sensational seeking highly sensitive person)というのがある。

筆者は心療内科にてASDADHD傾向があると言われているが故に診断されてから他人に色々言われるようになってしまい、逆に生きづらくなってしまった。

診断された理由として能力の凸凹が大きく、得意不得意にばらつきがあったためである。

病名がつけられたことより、適切な配慮をしてもらえるという利点がある。

ASDADHDといった人には自己分析がうまくできない人が多い故であろうと考える。

筆者は人に流されやすいところがあり、人に様々なアドバイスを言われるようになってから余計に自分の軸がぶれるようになってしまった。

ASDADHDとHSS型HSPには類似点が多い。

加えて、HSPといった概念は心療内科や臨床心理学にはなく、知らない精神科医も多い。

どちらもストレスをためやすい性質であり、二次障害や鬱病を発症しやすい、繊細なところなど似ている点は多い。

ただ正確にこれと言えるものは少なく、僕の場合はASDADHDHSPがミックスされているのかもしれない。

人の心は見えないがゆえにカテゴライズすることや正確に理解することは難しいところがある。