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名古屋大学大学院

インクルージョン・共生社会とは?

みなさんに聞きたいことがあります。

みなさんの普通はなんでしょうか。今回は「普通・常識」について哲学的に述べたいと思う。そもそも普通とは共通普遍で万人に共通なものではないと考える。なぜなら人それぞれの常識は18歳までに形成され、それがその人の普通になる。例えば普通の教育を受けてきたという3人がいると仮定しましょう。そして公立高校という無償化されているところにいく人もいれば私立学校というお金が高く基本金持ちの人がいくところがあると仮定しましょう。
1人目は公立高校で理系であり物理を多め、進学校であった。2人目は公立高校で文系で進学校で日本史中心であった。3人目は公立高校で進学校ではなく文系で国語中心であった。部活動もそれぞれ違う。ここで述べているのはそれぞれの人のバックグラウンドの具体例です。共通するものはなんでしょうか。それは公立高校であるということだけです。私の周りでは公立高校すなわち特別な教育ではないものを普通とするのですが、バックグラウンドすなわちメインに学んでいることは人それぞれ違います。私立学校だから普通じゃない、公立高校だから普通というのはよくよく考えてみれば概念として成り立たないのです。ましてやそこに年齢のファクターも加えればジェネレーションギャップによってそれぞれの「普通・常識」というのは変わってくることが必然です。故に普通の人はこうするという概念に私たちは縛られる必要性はなく人それぞれの多様性があって当然です。だから普通の人はこうするという概念など存在することはなくまたそれは万人に普遍的ではなくただその人個人の価値観を押し付けているものなのです。また、海外それぞれ文化が違います。私の研究に関連するところによればインドでは多民族、多宗教国家でありまたカースト制度の影響もあり格差も様々です。勿論一人一人の個性は違ってあたりまえです。個々人のバックグラウンドは大きく違うといえるだろう。多様性のある国なのです。
前文を踏まえて次の例として海外それぞれの国にはそれぞれの文化があります。海外のある国で普通であることがある国ではタブーであったり、ある国で行われていることが他のある国では理に反するおこないかもしれない。他の例として宗教をあげるときヒンズー教は牛肉を食べない、イスラム教は豚肉を食べない、また宗教や暦によってそれぞれの国のイベントは違ってくる。普通とは一体なんなのでしょうか。またわかりやすい例として真夜中は人それぞれ認識にあたる時間帯にずれが生じるでしょう。
ここで「普通・常識」に話を戻そう。私は共生社会について研究をしているがそもそも共生社会とは何かということを疑問に思い、そこでサブクエスチョンとして「普通・常識」とは何かにたどり着いたわけです。
「普通・常識」というものは人それぞれ違いがあると仮定して個々人に多様性が存在するとする。共生社会という社会が成り立つためには個々人の多様性を認めることであり、「普通・常識」というものが存在しないことが必須条件となるのではないでしょうか。「普通・常識」ということが個人の偏見であるとすれば普通という言葉を使う時点で個人の意見を押し付けていることでありこの社会は必ずしも多様な社会とはいえない。
まとめとして、共生社会が成り立つためには「普通・常識」というのが存在しないことが必要十分条件であって必ずしも個人の偏見を押し付けてはならない。インクルーシブ教育や共生社会を構築することは勿論個々人には18歳までのバックグラウンドが存在し常識は人それぞれ違うのでただ単に共生社会と簡単に片付けられる言葉ではないだろう。共生社会というのが概念で理解したとしても個々人の偏見を介在しないことは難しくインクルージョンは単純なものではないだろう。それでもインクルージョン・共生社会について私は興味がある。

カンボジアの歴史的背景

カンボジアは1887年以降フランス領インドシナ連邦の構成国としてフランスの植民地となっていたが、1953年にノロドム・シハヌーク王が国際世論にカンボジア独立を訴え、フランスから主権を回復し独立を達成した。1955年シハヌーク王は統一的な人民社会主義共同体(通称「サンクム」)を組織し、内政に関して革新的な政策を採用していた。

 

クメール共和国(1970-1975;ロン・ノル時代)ではノロドム・シハヌーク国王が独立を果たしたものの、国家の担い手をめぐる紛争は続き、1970-90年末まで続いたとされている。ロン・ノル首相はクーデターより、シハヌーク国王を追放し、クメール共和国を設立した。ベトナム戦争の影響もあった。都会と農村の経済格差問題の深刻化、汚職の蔓延といった問題があったため、クーデターにつながった。

カンボジア共産党と民族統一戦線を結成→のちのクメールルージュ→ロン・ノル政権を倒すため」といった流れを経ている。

その際アメリカは共産党主義者を滅ぼす目的で空爆などをおこなった。

民主カンプチア(1975-79年;ポルポト時代)クメールルージュによる残酷や政策が、カンボジアにおけるソーシャル・キャピタルに計り知れないほどの影響をもたらした。クメールルージュはカンボジアの社会のうち、文化、宗教、組織、ネットワーク・規範そして家族までも否定し破壊したとされている。

ポルポトは西洋諸国の影響を受けないために極端な共産主義体制をとったと言われる。

また、共産党は公教育、仏教、貨幣、市場、私有財産などのさまざまな制度は家庭生活、個人主義を革命の障害となるため禁止した。

さらに、子ども、夫婦をバラバラにし、またカンボジアを農業中心の国家にしようとした。

その後のカンプチア人民共和国(1979-89年:ヘン・サムリン時代)では、カンボジア共産党の生き残りから結成されたヘン・サムリンを中心とする救国民族統一戦線は、クメールルージュと戦闘した。ヘン・サムリン政権の社会主義政権が誕生した。ポルポト派はカンボジアの山岳地帯に逃れることになった。89年、ベトナム軍の撤退後、カンプチア人民共和国が自立して国家運営ができるようになった。

1991 年10月23日にパリで調印された「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定(パリ和平協定)に基づき、国連カンボジア暫定統治機構UNTAC が設立された。

このUNTACの任務は停戦監視、武力の解除、治安維持、自由で公正な総選挙の実施、難民・避難民の帰還促進、インフラの修復であり紛争の被害を受け、破壊されたものを直し改善していく必要性がある。

世界遺産カッパドキアの概要と背景

カッパドキアはトルコにある世界遺産であり、首都のイスタンブールからはかなり離れた位置にある。

正式な名称は「ギョレメ国立公園カッパドキアの岩石群」で1985年に複合遺産として登録された。複合遺産とは、文化遺産の条件を満たしさらに自然遺産の条件も満たすことをさし、登録条件は①③⑤⑦を満たす。

簡単に説明すると、①人類の創造的資質や人間の才能、③文化的伝統や文明の存在に関する証拠、⑤独自の伝統的集落、⑦自然美や景観美、独特な自然現象、となる。

 

カッパドキアはキノコ形やラクダ岩など独特な形の岩が多い。洞窟聖堂や洞窟修道院も点在する。ここでは300万年前に火山の大噴火が発生し、大量の溶岩と火山灰が一帯を覆った。それらが堆積し、凝灰岩や玄武岩の層になり、長い月日の経過にて軟らかい凝灰岩が風雨によって侵食され、岩が複雑な形となり今のカッパドキアができた。歴史的にはキリスト教イスラム教の侵略争いもあった(ex.イコン破壊運動)。ギョレメ渓谷(キリスト教徒たちが身を潜めた場所)が有名。現在36の地下都市が残っている(誰が、いつ、なぜつくったのかは不明)。この地には特有の植物、動物(オオカミやアカギツネ)が生息。紀元前4000年ごろから洞窟住居がつくられ、今でも残っている。

グアテマラってどんな国?

グアテマラとはどんな国?

 

修士論文のために使用した(PISA for Development)のデータの中にグアテマラがありどんな国だろうかと疑問を持ち、調べて簡単にまとめてみた。

 

グアテマラはメキシコの下にあり、およそ108889平方キロメートルであり、たとえると北海道と四国を合わせた面積より少し大きいくらいだとされている。

 

1725万人(World bank.2018)

首都はグアテマラシティ

マヤ系先住民を中心に多くの人種や民族が存在していると言われる。

主な言語はスペイン語とされる。

通貨はケチャル(Q)

コーヒーが有名

火山が多い

マヤ関連の遺跡や世界遺産がある。

 

過去に内戦もあり、多面的に多くの課題(教育、貧困、経済格差問題など)

日本から援助もあり、多くの課題解決を目指している。

貧困層が多く、識字率は約70%らしい。

貧困と治安といった問題をはじめ多くの問題を抱えている国である。

靴を脱ぐ日本人

明治になるまで靴を履く人はいなかったらしい。

それ以前では下駄や草で編んだ草履を履いて暮らしていたと言われている。

 

坂本龍馬が日本で最初に西洋草履を履いたと言われており、坂本龍馬が西洋の文化をいち早く取り入れたとも言える。坂本龍馬は新しいもの好きだったらしい。ただそれ以前にも西洋に渡った人はいたので信憑性の疑いはある。

 

靴というと日本では家に上がるときには靴を脱ぐわけだが、海外では家でも靴を履いていたりする風習がある。

 

前置きはここまでとして実際にコロナの蔓延と靴を脱ぐことに関係があるのではないかという研究がある。

今ではパンデミックから一年が経つ。

 

靴という文化を西洋から取り入れたにもかかわらず、靴は玄関で脱ぐという日本独特の風潮であり、また不思議な風潮である。

理由はいくつかあり高温多湿な気候が由来しているともいわれていたり、日本独特の風潮である土足で立ち入ることのマナーなどが挙げられる。

 

日本は不思議な国でハロウィンやクリスマス、お盆というなんとも宗教的な統一性に欠けるが、逆に日本ならではの文化や風潮(Ex.予防のためにマスクをつける)がコロナ対策になっていたとしたらとなんとも趣深い。

最低限の生活と障がい

私は開発途上国における障がい児の教育について研究している。

近年では障がいというと発達障がいや知的障がいから目が見えない、耳が聞こえないといった視覚障がいや聴覚障がい、身体障がいと多岐にわたる。

障がい者は見た目やぎこちなさより差別や偏見といった社会的排除ときには暴力を受け、友達作り、コミュニティへの参加に困難を示しメンタル的な病といった二次障がいに陥る健康上の危険性があるほか、障がいならではのより貧困や不就学、不就労といった不安定な社会的地位ゆえに生活上の困難を生じうる。

加えて、精神障がい(精神疾患)については世間のイメージでは精神疾患が混乱や危険を伴う病状であり、周りの人から理不尽で奇怪な存在として捉えられる傾向にあり精神疾患そのものがスティグマと考えられている。吃音やチックといった特殊な行動は差別や抑圧の要因となる。

開発途上国では法の整備により障がい者は安定した社会的地位が確保されていないという問題があるが、先進国と言われる日本もまだまだ不十分な法体制や福祉であると思う。日本には障がい年金というものがあり老齢厚生年金、障がい基礎年金、遺族基礎年金への加算(障がいをもった子どもが20歳になるまで)、障がい基礎年金(20歳以降)等がある。

障がい基礎年金には1級の場合年間97万7125円、2級の場合は78万1700円を受給することができるが障がい年金を申請しても不支給となることは多い。また、障がい基礎年金だけでは暮らすことができない、申請が簡単ではないなどQOLを満たすには不十分である。日本国憲法第二十五条では「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」「国は、すべての生活部面について社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と生存権として規定している。これを抽象的権利説ととらえるか具体的権利説ととらえるかプログラム規定説、解釈の余地を残すがもともと混在していた日本の労働環境の悪化や生活水準の低下、ワーキング・プア(働く貧困層)の増加などに加えコロナ禍により安定的な生活の保障にはほど遠いように感じられる。

エルサレムの帰属問題

エルサレムという地域は現在でも宗教的な対立が混在し、「エルサレムの旧市街とその城壁」として世界文化遺産に登録されているが、遺産保有国は唯一実在しないエルサレムとなっている。なお、パレスチナイスラエルの紛争に加え、急激な都市開発の進行、観光客増加による被害、維持管理費の不足等を理由として1982年に危機遺産リストに追加されている。

エルサレムは、3つの宗教であるユダヤ教キリスト教イスラム教にとって宗教的に重要な聖地とされている。

歴史としては、エルサレムダヴィデによって古代イスラエル王国の首都とされていた。ダヴィデの跡継ぎであるソロモンは街の中心部にあるモリヤの丘に「十戒」を納めた神殿を建築した。十戒とはユダヤ教唯一神ヤハウェモーセに与えたとされる。エルサレムは宗教的かつ政治的にユダヤ人の中心地となる。しかしながら、後70年にはローマ軍によって市街と神殿が破壊された。ユダヤ人は神殿のあった丘から追放されて故国を失い、世界各地に離散(ディアスポラ)せざるを得ない状況となった。ローマ軍侵攻後、キリスト教徒にとってもイエス・キリストが十字架に処された地としてエルサレムは重要な聖地となる。加えて、638年にこの地がイスラム軍に占領され、1099年に十字軍によってキリスト教の手に戻り、1187年にはサラディンによってふたたびイスラム教の聖地に戻り、20世紀初頭までイスラム教の支配下にあった。ただ、このような紛争により多くの神殿や礼拝堂が失われた。帰属問題は現在でも残りエルサレム第一次中東戦争にて東西に分割、旧市街の東エルサレムはヨルダン領、新市街の西エルサレムイスラエル領とされた。このように領土の帰属問題は現在でも存在する。紛争の舞台となった3宗教の聖地でありトランプ氏のように都合よく大使館をエルサレム移転など、中東の緊迫化をそそのかしてはならない。中東和平にアメリカの役割は欠かせず、次の大統領選には私は固唾を呑むばかりである。