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名古屋大学大学院

発達凸凹が日本で生きにくい理由

私は、日本の就活のシステムに違和感を感じる。日本ではいかにいい大学に入りいかに大きな企業に入ることがいいことといった風潮がある。大学時代に日本でも名の知れた会社に入った友人は「俺は人生の勝ち組だ。もう人生が安泰だ」と言っていて私は「人生はこれからだろ」と思い白眼視した。

日本の就活は受験戦争と同じようなものだと私は思っている。私は就職活動をしたがとりわけ面接のとき「志望理由はなんですか」「就活の軸はなんですか」「あなたの強み、弱みはなんですか」「あなたを別の生き物に例えるとなんですか」といった定型的な質問が飛んでくるだけでなく、会社は勝手にその模範的な回答を想定していることも多々ある。質問された以上何を答えても自由であるはずなのに、自由に答えること、ぶっ飛んだ返答をすることはタブー視されている企業もあった。私が就活をしていたとき比較的自分の思ったことを自由に回答していたためか、面接官の印象には残るものの評価としては良いものではなかった。

またある企業では「君はうちの会社にはむかない」といった返答ゆえに落とされた会社もいくつかあった。

大学時代にあまりにも就活が決まらず12月になっても内定がない状況であり、診療内科に相談したところ発達障がい(発達凸凹)を言われた。最近では発達障がいは能力の凸凹をさすこともあり、精神疾患の診断・統計マニュアルであるDSM‐5を元に私はWISC‐4知能検査などを受けた。早生まれによる発達の遅れと能力の凸凹から自閉症スペクトラムASD)との診断が下った。ASDスペクトラムであり、連続体でgoogleで検索をすれば白と黒のコントラストの図がでるであろう。スペクトラムである以上明確な定義はなく、白か黒かといったらグレーなのである。ADHD(注意欠陥多動性障がい)も同様である。近年では障がいというより能力の凸凹をさすこともある。ASDADHDは個性的な人も多い。

能力の凸凹の激しい人は日本の就活とりわけ法人の総合職といったマルチな能力を求められるところは向かない。日本は「個の時代」にシフトチェンジすると言われていながら、社会では未だにマルチにできるジェネラリストが求められている。言い換えると減点主義で別にスペシャリストを就活で求められていない。

ASDADHD傾向のある人は日本では生きづらい傾向にあり、残念ながら彼らの個性は日本では活かせにくい。